第1回「高遠北原・歴史まち歩き」開催
弘妙寺の家紋を現地で確認し、権殿屋敷跡を巡るフィールドワーク。参加者の皆様と活発な意見交換を行いました。
PROJECTS®
私たちは、まち歩き、ワークショップ、記録づくりを通して、この土地に眠る敗者たちの葛藤や、語り継がれてこなかった微細な記憶を整理し、住む人と訪れる人が共に未来の高遠を描くための場を創造します。
高遠の地には、時を越えて紡がれる3つの活動があります。それらは水面に落とされた墨のように、ゆっくりと人々の暮らしと混ざり合い、静かな波紋を広げていきます。
伊那市高遠町藤沢、北原、弘妙寺などの歴史的スポットを歩き、土地に根付く伝承や人々の息遣いを身体で感じる巡礼の旅。
地域住民と研究者が車座になり、古文書の解読や家紋の謎について思索を深める知的共創の対話。
消え去りそうな口伝や未公開資料、墓石に刻まれた意匠をデジタル化し、未来へ語り継ぐための美しい書籍とアーカイブの制作。
信濃国伊那谷・高遠。かつて鎌倉が陥落した日、北条高時の遺児・時行が落ち延びた諏訪の地から、すべての歴史が動き始めました。尊氏と直義の対立「観応の擾乱」がもたらした奇妙な同盟と、高遠の山奥に土着した者たちの記憶。
新田義貞により鎌倉陥落。北条一門は東勝寺で自刃するが、遺児・時行は諏訪大社大祝・諏訪頼重に庇護され信濃へ落ち延びる。
時行らは信濃で兵を挙げ、鎌倉を一時的に奪還。しかし足利尊氏に敗れ頼重は自刃。時行は再び伊那谷の山深くに潜伏する。
尊氏と直義の兄弟対立「観応の擾乱」が勃発。かつての宿敵であった足利直義と北条時行、そして諏訪直頼が直義派として手を結ぶ。
北原家系図に示された、この地での出家の記録。激動を生き延びた北条・足利・諏訪の絆は、「高遠北原」の地に溶け込んでいく。
伊那市高遠町藤沢にある弘妙寺の北原家墓所には、相反するはずの二つの紋章が並び刻まれています。
北条氏の象徴である「三つ鱗」と、足利氏の「丸に二つ引き」。観応の擾乱という特異な時代にのみ結ばれた同盟の軍功の証として、出自を完全に消すことなく、静かに石碑に封じ込めた歴史の痕跡です。
宿敵同士の家紋が同じ墓石に並び刻まれる、歴史ミステリーの最重要スポット。
今も「北原」の名を冠したのどかな集落。本家や末裔の方々が集うコミュニティの地。
時行の潜伏伝説に結びつく「北条権頭時方」の伝承が遺る深い山あいの地。
弘妙寺の家紋を現地で確認し、権殿屋敷跡を巡るフィールドワーク。参加者の皆様と活発な意見交換を行いました。
北原家に伝わる古文書の解読作業を専門家と共同で開始。南北朝期の信濃潜伏についての新しい傍証を調査中です。
弘妙寺の二つの家紋の謎、中先代の乱から観応の擾乱までの歴史背景を詳細に解説した特製ブックレット。
高遠の銘水と酒米で醸造し、北条「三つ鱗」と足利「二つ引き」をデザインした和モダンなオリジナルボトル純米酒。
足利直義と伝説の禅僧・夢窓疎石の対話。戦いの渦中にあった直義が抱いた人間としての根源的な迷いと、それに対する疎石の深い教え。
仏は「苦しみを抜き安楽を与える」と言いますが、なぜ世間にはこれほど苦しむ人が多いのですか。
世間の人が求める幸せは一時的なものです。仏の本当の慈悲とは、目先の富ではなく、迷いの輪廻から救い出し、永遠 of の悟りの安楽(涅槃)を与えることなのです。
武士として政治や戦務に追われる身で、仏道を修行することはできるのでしょうか。
世間の公務と仏法は別の世界のものではありません。自分の欲望(私心)を交えず、ただ目の前の務めに専念するならば、その仕事そのものが菩薩の修行となります。
善人が災いに遭い、悪人が栄えるなど、因果応報の法則が間違って見えるのはなぜですか。
因果の報いには、過去・現在・未来の三つの現れ方があります。眼前の一時的な状況だけを見て、長い宇宙の法則を疑ってはなりません。